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mikenyan88の日記

折に触れて自分の思ったことをアップしていきます。

ヤマ

筆者が中学校に入りたての頃、修養会と称して静岡県内の研修施設で

宿泊しながら、キャンプの真似事や登山に励む行事がありました。

何も物見遊山や道楽のための旅行ではなく、昔の流行歌のように

大人の階段を登る第一歩との位置付けであって、会社の新人研修のようと

言いたいところだけれど、それ以上に意味のあるものに思えたし、

実際青年期の入り口に立たされている生徒たちにとっては登山研修も

通過儀礼と位置付けてもいいことだったように思うのです。

筆者のときはこの修養会という行事は特にトラブルもなく終わったけれど、

筆者が上級生となったときに、同じ修養会の登山でちょっとした

トラブルがあったと当時の校長が学校新聞に寄稿していたのを覚えています。

いわゆる障がい者ではないものの、他の生徒よりも足が悪い生徒が修養会の

参加者の中にいて、見切り発車ではないけれど彼が山を登りきることは

難しいと判断して、この登山の後に詰まっているスケジュールへの影響も

考慮して全員が登り終えないまま下山に踏み切るか、全員が登りきらねば

まずいといって足が悪い生徒が登り切るのを待ってそれから下山するか

現場の長として判断に迷ったというのですが、友達と一緒に登った達成感を

自分も味わいたいという生徒の希望を第一に考えて、後のスケジュールへの

影響を承知の上で頂上で彼を待つことにして、紆余曲折あったものの生徒全員が

登り終えることができた結果を見て、文字通り聖職者の校長は

聖書の善きサマリア人の例えが頭に浮かんだそうです。

先の大相撲で強行出場の末天皇賜杯を掴んだ稀勢の里関の行動に賛否が

分かれているように、この修養会の一件も足の悪い生徒に無理強いをさせたと

言えなくもないけれど、生徒自身は稀勢の里関と同じく足が悪くても

頂上を征服した歓喜を味わいたいという意思を持っていたのだし、

こうした校長の判断は彼が言うようにダイバーシティの原点と言える

善きサマリア人の例えを具現化したものと思うのです。

さて、登山といえば稀勢の里関と違って学校関係者が非難轟々の対象に

なっている関東地方の高校の雪山訓練での痛ましい事故が思い浮かびます。

これは善きサマリア人とは明らかに異質でやり過ぎであるし、

映画の八甲田山に描かれたような厳しい雪山での訓練は

過酷な激務に耐えられるという前提で選抜された陸上自衛隊員や

山岳救助隊員にしか許されず、安易な気持ちで陸上自衛隊員や

山岳救助隊員に比べれば軟弱な高校生に命を顧みない訓練を

やらせたことは第二次世界大戦当時から変わらぬ張本勲渡辺恒雄

ような腐った石頭の発想と思うのです。

これを厳しい論調と言うならばのび太ドラえもんから借りた戦争ごっこの

ゲームでジャイアンスネ夫に無茶苦茶な命令を出して調子に乗って

いたときに、ひみつ道具のせいで逆らえない命令の被害にあった友人が

昔の我が国の軍隊はこんな無茶苦茶な命令で取り返しのつかない

第二次世界大戦を起こしたんだねといったことをどう捉えるのかと

言いたいところです。

このドラえもんの一節はまさにその通りであって、平和の尊さを教えることも

教育機関の大事な務めのひとつなのに先の雪山訓練の事案は

戦前の発想そのものであってこれでは教育勅語云々いっている大阪府

学校法人のことを非難できないと思うのです。

一方で冒頭に触れた筆者の母校の事案はこれと明らかに異質であって、

ダイバーシティなどという外来語を使わずとも寛容の精神と

優しさと譲り合いの気持ちがあれば紛争など起きぬということを

生徒たちに教えるいい教材になったと思うのですがいかがでしょうね。