mikenyan88の日記

折に触れて自分の思ったことをアップしていきます。

執着か執念か

人気アーティストのつんく♂さんが自分の声を僅かながら取り戻したという

報道で、食道発声法とか咽頭発声法とか筆者のように病気で自分の声を

喪った人間が声を取り戻す術がにわかに話題になっています。

中でも筆者の目を引いたのが福岡県内でこうした声帯を摘出した患者が声を

取り戻すことができるように支援している団体を紹介したレポートです。

筆者も声帯にメスを入れて声を取り戻すという経験をしているので、

自分の問題として実感を持ってレポートに目を通したのですが、

少し前までは筆談だったのに発声法の練習で今ではカラオケが楽しみになったと

いう参加者の男性のことばは筆者の現在と重なって、我々人間にとって

コミュニケーションや喜怒哀楽の表現の手段としてどれだけ声というものが

重要であるかを改めて認識させられました。

筆者しかりこの団体の参加者しかり自分の声を喪った病者がうつ病などに

罹患してメンタルを病んでしまうというのも身につまされるものがありました。

筆者も生きるためとはいえど大切な声を喪うのはほんとうに苦渋の決断で

あったし、耳は聞こえるけれど話ができないというろう者との違いが

障がいの理解が不十分な人になかなか理解して貰えずにもどかしい

思いをすることもありました。

筆者の場合は話ができない以外にも口から食事が取れないという根本的な

問題があって、今も社会復帰には至っていないけれど、声帯を切除した

だけの病者ならば仕事を持っている方もいるだろうし、ダイバーシティという

よくわからない外来語だけが先行して障がい者への正しい理解が進んでいるとは

言いがたい我が国では耳は聞こえるけれど話ができないという特殊性が

周りに理解して貰えずに社会生活の中でコミュニケーションで苦労するだけでなく

耳は聞こえるのだから本当は会話もできるのだろうとか心ないことばを

掛けられることもあるだろうし、筆者もことばを失っていた時に一度でなく

自殺を考えたようにことばを喪うことでだけ身体でなく精神も病んでしまっても

不思議ではないと思うのです。

筆者もある大学病院でのリハビリだけで補助具を使っているとはいえど

健常者のような声を短期間で取り戻すことができたのを不思議がられることが

あるけれど、声がいわば生業の道具であったつんく♂さんにしろ先の

福岡県の団体の参加者にしろ筆者にしろやはり人間にとっては声は

掛け替えのないものであって、医者に無理と言われても自分の声を

取り戻すという執着や執念のような気持ちが奇跡の復活を呼ぶのだと

思うし、そうした岩をも通すような強靭な気持ちは誰にも邪魔できないと

思うのです。

筆者はリハビリの先生に恵まれず眉つばのような情報を実しやかに

言う先生や張本勲のような古臭い精神論しか言わずセラピストと言えるの

だろうかという先生に出会ってきたし、言語聴覚士だか精神保健福祉士だか

難しい資格を持っている人間であっても病者の気持ちは病者自身にしか

わからない部分があるということは紛れもない事実なので、

つんく♂さんや先の福岡県の団体で発声法を教えている人間もまた

声帯を切除した経験者であるということに最後に触れておきたいと思います。