mikenyan88の日記

折に触れて自分の思ったことをアップしていきます。

真の食の大切さ

摂食障害と診断されて、一時は口から食べることもままらななかった筆者は

何故そんなに美味しそうに食べるのと不思議そうな顔を周囲からされることが

未だにあります。

でも周囲へのお世辞やおべんちゃらでそういう反応を意図的に見せている

つもりは毛頭ないし、長い間入院を余儀なくされて健常者にとっては

当たり前の食べる楽しみを悪意ではないとはいえ奪われていた身にとっては

健常者がルーティーンのように食べているジャンクフードでさえ

とても美味しく感じられるのです。

筆者の場合は病気で食べられず十分に栄養も取れないという事態に

陥ったけれど、近年では食べ盛り育ち盛りなのに親の貧困や育児放棄

十分に食事を取れない子どもや、食べ物を買う金もほとんどないのに

生活保護のような公的な支援扶助を何らかの事情で拒んだ若者や

高齢者が飢えで餓死してしまうという悲しい事案もしばし起きています。

 そのような事案が起きる中で、格差社会と飽食という矛盾するような

ことばが並存している我が国の現状はどこかおかしいと思うし、

飽食の陰でまだ食べられる食べ物が賞味期限の問題や売れ残りとなって

産業廃棄物として処分されたり、誰にだって食べ物の好き嫌いはあるし

食物アレルギーを抱えた患者も少なくないのに栄養のバランスや

彩り優先で管理栄養士のような専門家が考えた献立を給食という形で

半ば押し付けられている病院や介護施設の入所者や学校の児童生徒が

いることもまた筆者にはどこか腑に落ちないところがあるのです。

賞味期限を過ぎたら食べてダメとか好き嫌いせずに野菜も食べろという

タテマエはわかるし、学校の給食は食育の一環という主張も

理解はできますが、近年の天候不順で高騰することも珍しくない

野菜を栄養優先で給食に入れようとするとどうしてもコスト面で無理が

生じてしまって、給食の量が減らされるだけならまだしも、幼い子どもに

とっては楽しみの象徴のような給食のデザートを取りやめたり、

三重県内のある自治体のように金がないから給食を取りやめたり

簡素化すると言いだすような情け無い事態が起きてしまうように思うのです。

給食だけで足りないならば自宅で食べろという反論もありそうですが、

それはパンがないならお菓子を食べろと言ったマリーアントワネットのような

発想であって、空腹に耐えかねもはや栄養などどうでもいいという

貧困層の子どもにとっては学校の給食はもはやライフラインであって、

お好み焼き定食でもラーメンライスでもいいから安価で満腹になれる

給食だけで子どもたちのお腹を満たすのが優先であって栄養のバランスなど

二の次三の次という発想に転換すべきという考え方もあっていいと思うし、

ことばは悪いけれど給食を押し付けるような発想を取りやめて

家庭の貧困や食物アレルギーなど個々の事情に応じて対応できるような

給食の形態に変えて言ったほうが筆者はいいと思うのです。

センセーショナルな少年犯罪の報道などで近頃の子どもは何を

考えているのかわからないという年長者もいそうですが、

栄養はともかくお腹が満たされて見た目や材料はともかく

食事が美味しい、食事が楽しみと思えるようになれば子どもも

大人もそうそう悪いことは考えないようになると思うのです。

さて、今年の春には伊勢神宮のお膝元の三重県伊勢市

全国菓子博覧会が開催されます。

伊勢神宮というだけでどことなくありがたみのありそうなこのイベントを

きっかけにして、博覧会の会場やテレビ画面で美味しそうなお菓子を眺めつつ

美味しく食べられるという当たり前の喜びや、おやつの時間が楽しみだった

子どもの頃の甘酸っぱい思い出、そして格差社会の中でも給食の

デザートに目を輝かせる小学生や幼稚園児、保育園児に思いを馳せて

貰えれば食べられないという地獄の苦しみを味わった筆者も本望であるし、

心の中に思いやりや感謝の気持ちを持った人間には伊勢神宮のご利益が

訪れると思うのです。

せっかくの菓子博覧会というお祭りなのだし、菜食主義とか

炭水化物抜きといった無理なダイエットは高い金を出してライザップに

通う富裕層や高給取りのプロ野球選手やプロサッカー選手に任せて

我々庶民は無礼講とばかりに満開の桜の下で思う存分お菓子を

味わってはどうでしょうね。

食べることは人間の根本なんだし、花より団子でいいじゃないですか。